東アジアの政治?思想?宗教 ― 古典との対話[担当:前川 亨]
ゼミナール名称 | 東アジアの政治?思想?宗教 ― 古典との対話 |
研究テーマ | 1年に1作品、「古典中の古典」と言われる人文?社会科学の名著を「完読」することを目標としている。これまでに取り上げた作品は、丸山真男『日本政治思想史研究』、マックス=ウェーバー『儒教と道教』、毛沢東『実践論?矛盾論』、孫文『三民主義』、ルース=ベネディクト『菊と刀』、『夏目漱石文明論集』、魯迅『野草』、梁啓超『新民説』他。 |
ゼミナール所属 | 法学部政治学科 |
学習内容 | 「大学でこれだけは最初から最後までキッチリ読んだ」と自信をもって言えるような、そういう書物との出会いをしてほしい。そういう気持ちからこのゼミナールを立ち上げた。 授業の形態は至って地味でありきたりである。担当者を決めて輪番でテキストを読んでいく。担当者はレジュメを準備し、疑問の箇所などを調べてくる。それをたたき台にして受講者みんなで討論を重ね、更に踏み込んだ検討が必要なテーマにぶつかった時には別途、そのテーマについて調べて発表する。―この単純な作業の積み重ねである。 しかし、その地味な作業を通して、受講者は書物を読む喜び(一面では辛さ)、討論を通じて問題を解決していく喜び(一面ではそのことの難しさ)を体験することができるに違いない。4時40分から始まるゼミは、しばしば時間を延長して3時間にも及ぶが、それでも時間が足りないので、休暇期間(夏休み?冬休み?春休み)を利用して一日ぶっ続けのゼミ(「我慢大会」と称する)が敢行される。 古典的な名著というのは、なかなか気難しく、調査をするのにも時間と手間がかかるし、討論では議論が紛糾することも珍しくない。 しかし、そうした濃密な時間を共有することこそ、大学時代にしか味わうことのできない貴重で贅沢な体験なのだ。実際、時間の経過を忘れて議論に熱中してしまうことも少なくない。このようなゼミの特性上、毎年、ゼミ生の数はさほど多くないが、それだけにゼミ生相互、ゼミ生と教員との深い交流が生まれている。 ゼミ終了後に連れ立って夕食を食べに行くこともある。そこでは堅い話から柔らかい話までいろんな話題に花が咲く。これもまたゼミナールならではの醍醐味といえよう。 なお、このゼミナールは2019年度までは「東アジアの思想?宗教?政治 ― 古典との対話」と題して教養テーマゼミナールとして開講されていたが、2020年度から法学部の専門ゼミナールに移ることとなった。これに伴い、内容などに若干の変更があるかも知れないが、その理念や目標は全く変わらない。 |
ゼミ生の人数 | 年度によって変動が大きいが、多い時で10名程度。 |
開講日時など | 毎週金曜日5時限目以降 |
卒業論文?卒業研究 | 特に設けていないが、ゼミ生の希望があれば作成する。 |
サブゼミナール | ゼミ生各自の自主性に委ねている。 |
ゼミナール合宿 | その年度に取り上げた作品と作者に所縁の地を訪ねる。これまでには、神戸(孫文、梁啓超に所縁の地)、熊本の旧須恵村(ルース=ベネディクト『菊と刀』に因んで)、大阪の国立民族学博物館や道頓堀(同上)等を訪ねた。 |
OB?OGの進路 | 公務員、一般企業など。 |
OB?OG会 | 2019年度には、教養ゼミナール、教養テーマゼミナールのOB?OGが集まり、思い出話で盛り上がった。数年に一度はこのような会を設けるつもりでいる。この他、年次ごとの集まりなどもある。 |
教員紹介 | このゼミを担当している教員は東アジアの思想史を専門としているので、ゼミで取り上げるテキストもその方面から選ばれることになる。学生時代、殆ど唯一、充実感を味わうことのできたのは、ひたすら古典的名著のテキストをジックリ読んでいく授業だった。私がこのゼミを始めるに当たってモデルにしたのはそれである。このゼミで名著と向き合う機会を得ることは、私自身にとっても非常に有意義で、毎年、自分の研究のための多くのヒントをそこから与えられている。 前川 亨 [研究者情報データベースへ] |
その他 | このゼミでは、ゼミ合宿のほかに、「オプショナルツアー」と称して、首都圏内の関連の史跡等を訪問することがある。これまでに実施した例を挙げると:湯島聖堂で「孔子祭」を参観し、併せて神田明神、ニコライ堂を見学。両国の江戸東京博物館?回向院?吉良邸跡の参観。泉岳寺の「義士祭」、増上寺の参観など。 |
[2020年4月掲載]